源頼朝ゆかりの地・真鶴町
真鶴町には「源頼朝」のゆかりの地が4つ存在し、源頼朝の軌跡を辿ることができます。
鵐窟(しとどのいわや)
源頼朝が石橋山の合戦に敗れ、山中へ逃げた後、身を隠した場所です。
当時はここも海に面しており、船でなければ辿り着けず、奥行きは130mと特殊な地形でした。
名前の由来は、シトド(シトト)という鳥が窟から飛び出し、「そこには人はいない」と敵が立ち去ったことからと言われています。
■住所 真鶴町真鶴1042-4
【コアな真鶴知識】 ***********************************
源頼朝は、「アオキ」という木で入口を隠し見えないようにしてくれた人に『青木(あおき)』、
近くで敵が来るかを見張って守ってくれた人に『御守(おんもり)』、
食事を運んできてくれた人に『五味(ごみ)』と、
3つの姓を与え、「真鶴の三名字」と言い伝えられてきました。
真鶴町に来られる方が、真鶴町に「青木さん」が多いことに驚かれますが、実は源頼朝と深く関係がありました。
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現在の鵐窟
昔の鵐窟
腰掛石
貴船神社にある「源頼朝の腰掛石」。
源頼朝一行が休息された岩石を「鵐窟」付近より移設したものと伝えられており、現場では水平だったものを垂直に立て、「腰掛石」として設置してあります。
■住所 真鶴町真鶴1117(貴船神社内)
謡坂(うたいざか)
真鶴駅から岩海岸へ行く途中にある謡坂(うたいざか)。
敵により自分の館を焼かれた土肥実平が、土肥に3つの光があるのを見て、皆の気持ちを引き立てようとして、第一の光は八幡大菩薩が頼朝を守ってくれる光、次の光は頼朝が繫昌して一天四海を輝かすという光、第三の光は実平が頼朝の御恩を受けて放光する光、と歌い、舞を舞ったと言われています。
■住所 真鶴町岩42
岩海岸 ・ 源頼朝船出の浜
1180年8月28日。源頼朝は従者とともに7人で安房国(現在の千葉県南部)へと船出をした場所。
源頼朝らが船を漕ぎだしたところを追手に見つかってしまい、追手が村民に「槍や何かを持っているあの船はなんだ」と訊ねたところ、村民は「近くで鮫が出て困っているので、退治するための鮫追船です」と嘘をついたと言われています。
源頼朝は無事安房国へ逃れることができ、岩海岸の鮫追船2艘は長年船役が免除されたと言われています。
■住所 真鶴町岩957-1
【船出をした人たち】 ***********************************
8月28日、源頼朝、土肥実平、土肥遠平、しんかいのあら次郎、土屋三郎(宗遠)、岡崎四郎(義実)、安達藤九郎盛長、7人が岩浦より船出をしました。
前日8月27日には、北条時政、北条義時が1日早く岩浦より船出をしたと言われています。
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更新日:2022年02月10日