町長日記(2023年12月)

町長日記:50日目 12月31日(日曜日)

本年は大変お世話になりました。自分の今年一年を振り返ってみたいと思います。

4月の横須賀市議選では、支援団体もなく裸一貫でしたが、多くの方のご支援を頂き4選目の議席を頂きました。しかし、あれだけ投票率UPのために選挙前から啓発をし、女性や若手の他候補の支援もし、選挙中も「小林に投票しなくてもいいから、必ず選挙には行ってほしい。ちゃんと市民のために働く人を良く見て選んで下さい」と声を枯らしたにもかかわらず、投票率の低下を食い止められませんでした。支援した候補者は全員が落選しました。選挙で示された民意に半ば心が折れ、自分という道具の使い途を改めて考えはじめました。

6月、そんな折に新聞で混乱ぶりを目にしていた真鶴町が副町長を公募しました。昨年、大学院で県内の広域連携を研究する中で、真鶴が最も問題を抱えた町であることを炙り出していたこともあり、「自分を社会に最も役立てられる使い途はここかもしれない」と感じました。そのため、もしも採用された暁には議員辞職するつもりで応募しました。

7月には、前町長へのリコールが始まり、副町長公募は中止となりました。

9月にはリコールが成立し、50日以内の町長選挙実施が決まりました。ここで、副町長応募の際に真鶴再生のための処方箋を書き上げていた身として、「乗りかかった船だ。心折れたまま横須賀市議として禄を食むよりも、真鶴町民が俺を使ってくれるかどうか勝負してみよう」と決断しました。亡くなった父親と同じ歳になったことも、新しい人生に踏み出す背中を押すこととなりました。

10月4日に議員辞職し、その足で軽バンに家財道具を積んで真鶴に引越しました。毎日、町内を回って町民の声に耳を傾けながら、町の課題を知り、町民性を理解し、真鶴に馴染んでいきました。敵も味方も一人もいない状況から、多くの方が仲間になって下さいました。

11月12日、当選した瞬間に真鶴町長に就任しました。息つく暇もなく、様々な意思決定を迫られました。

12月31日、就任から50日目を迎えました。何がより良い判断なのか迷いながら歩む日々ですが、少しずついい町に変わっている実感はあります。

来年も、時代の変化よりも早く変革して、真鶴の価値を上げ町民生活をより良くするために尽力する所存です。どうぞよろしくお願い致します。

写真は今日の神奈川新聞の県内10大ニュースの抜粋です。

町長日記:49日目 12月30日(土曜日)

今日は生活防衛のために節水シャワーヘッドを買ってきた。水量が50%減るという触れ込みだが、実際には40%減というところか。それでも、たかだか2,000円あまりの投資で、県内一高い水道代に加えプロパンガス使用料も削減することができる。さらに、住んでいるアパートの水勢が弱かったのだが、同じ水圧でも水穴が小さくなることで勢いが増して、実に快適になった。

意外と、こういうライフハックをご存じでない町民の方もいると思う。

「ESCO」と言うが、初期投資を肩代わりしてランニングコストが浮いた分で回収する事業モデルがある。町がESCO事業者となって町民生活に投資することで、生活の質を上げ、光熱水費を下げ、おまけにCO2も削減することはできないか。古いエアコンや冷蔵庫の買い換え、ソーラーパネル設置、節水コマやシャワーヘッド導入など、打ち手は無数にある。選挙前に掲げた政策案だが、来年度の具体化に向けて動いてみたい。

町長日記:48日目 12月29日(金曜日)

以前、ある篤志家の方から「職員さんが昔より元気ないから景気づけしてやってよ」と2万円をお預かりしていた。私は政治献金を受けていないが、職員用なのでありがたく頂いた。さっそく、役場隣のあけび屋さんに相談してパーティルーム貸切で慰労会を企画していた。

昨日は大掃除の後、慰労会には自主参加だったが約半数の職員が集った。コロナ禍で課ごとの飲み会はあったが3年近くこういう場はなかったらしい。なぜか真鶴町役場では仕事中、大半の職員がマスクをしているので初めて素顔を見る方も多く、普段は見せない笑顔に「企画してよかったな」と思った。篤志に感謝。町長の愚痴が言えるよう私は1時間あまりで退散した。

ぐったり休んで、今日は洗濯したり買い物したり、のんびり過ごした。

町長日記:47日目 12月28日(木曜日)

昨日が〆切の職員アンケートに全て目を通した。最も多かったのが食堂やランチルームを求める声だった。自席でお弁当では気分転換にならないし、職員同士のコミュニケーションの機会もタバコ組以外は少ない。交代で13時から休憩をとる窓口担当は、お客さんの来る所で昼食をとるのもバツが悪かったらしい。そこで議会事務局に相談し、議長の許可を頂いて、議員控室や委員会室をランチルームとして提供頂くこととなった。お金のかからないことで職員の満足度向上につながることはドンドン実行したい。

午後からは、職員総出で庁内の大掃除をした。キレイにすることよりも、積年のムダなものをとにかく捨てる方向で指示した。また、モノが多くて確保されていなかった動線を徹底的に確保した。消防法違反疑惑の階段踊り場のチラシラックも移設した。だいぶ働きやすくなったのではないか。

町長日記:46日目 12月27日(水曜日)

今日は公民連携Day。オンラインで2件、来訪で2件打合せし、その後、東京で2件営業に回る。20代の自分は大して売れないダメ営業マンではあったが、営業職をやっておいて良かったと思う。

企業の投資を受ける際の勘所のようなものを、肌で感じた。

低価格の商品を売っていた人間は、高価格のモノが売りにくいという。いいモノを買い、いいモノを食べ、いい所に泊まり、意識して上流の感覚に触れるのも大事だと思った。美しい真鶴を高く売り、単価を上げ、町内への経済還流を増やし、町民所得を上げるのがトップセールスだと思った。

合間に美味しいコーヒーを飲んでホッと一息。

町長日記:45日目 12月26日(火曜日)

町内外の多くの企業・団体の方と打合せ。表敬訪問っぽいものは、うちの優秀な秘書が断っているので、全て中身の話だ。早めに打合せを終えると、スキマ時間に決裁や庁内の面倒くさい案件が舞い込んでくる。トイレを我慢して打ち合わせに臨んで、結局は中座。これはやってはいけないと反省。

町長日記:44日目 12月25日(月曜日)

予定と予定の合間の細切れ時間で、町内を視察する。今日は、旧米谷邸、風外堂の中、真鶴港管理事務所、真鶴港津波避難施設などを1時間の制約の中で視察。

旧米谷邸は思ったより使えそうなので、再活用しなければ。

風外堂は、ボールを置いたら転がった。思い切り傾いている。

管理事務所は、現場職員の来年の雇用が確約されていないらしい。県と要調整。

真鶴港津波避難施設からは、白磯とライオン岩がいい眺め。ここは木を伐採すれ普段使いの観光スポットにできるのでは。

町長日記:43日目 12月24日(日曜日)

町議ほかの方々へあいさつ回りをし、民俗資料館を視察し、なぶら市で昼食をとって真鶴中学生のブースでお買い物をし、風外荘を視察し、二藤商店とお茶のあおきでお買い物をして、役場で仕事を片付け、夕方は地元の知識人のお宅にお邪魔した。知的刺激をたくさん受け、行政経営のヒントをたくさん頂いた。今日も師走らしい一日だった。

町長日記:42日目 12月23日(土曜日)

漁港までランニングして、床屋に行き、「真鶴空き家勉強会」にお邪魔し、情報センターを視察し、昼食にほうとうを作って食べ、町議のみなさんのところに年末のあいさつ回りをし、会食に行って公民連携のヒントをたくさん得て、草柳商店でライヴやっていたので寄り道して、家に帰ったらカバンを忘れたことに気付いて、草柳商店までもう一度ランニングして帰った。師走らしい一日だった。

町長日記:41日目 12月22日(金曜日)

気になっていた町内の施設等を視察して回る。お林展望公園、サボテン公園時代の動物園跡、内袋観音、水族館「竜宮城」跡、中川一政美術館、尻掛海岸、真崎荘、さくらの里、石切場、ヘリポート予定地。

改めて思うが、真鶴には潜在力しかない。町民サービスのために財源をどんどん稼ぐつもりだ。

町長日記:40日目 12月21日(木曜日)

全部署の予算査定を終えた。その中で、いくつかの人権団体への研修費や雑誌購読料を来年度は支出しないよう指示した。職員によると「中には、研修に出席しなかったり雑誌を購読しなかったりすると、仕事にならないくらい抗議の電話をかけてくる団体もある。かつては街宣車まで回されたまちもある」という。そこで、各団体に「来年度は予算を組まないことにするが、礼を尽くすため町長が自らご連絡差し上げた。何か質問や抗議があるならば町長に直接連絡してほしい」と伝えていた。しかし、うち2団体が本当に担当課に電話をしてきたらしい。そのため、2団体には私から抗議の電話を入れた。今後、真鶴町職員に連絡してきた場合、団体名を公表するつもりだ。

なお、人権は大事なので、来年度は別手法の人権啓発を行いたい。

町長日記:39日目 12月20日(水曜日)

今日もひたすら予算査定。心を鬼にして斬り込むが、完全に無駄な事業などない。だが、優先順位はつけなければならない。鬼になろう。

写真は、毎日オヤツに食べている羊羹。机の中に大量に備蓄しているので、小腹の空いた職員は町長室に来れば配給しますよ。

町長日記:38日目 12月19日(火曜日)

ひたすら予算査定。まだ億単位で予算が足りない。新しい備品を買ったり事業を始めたりする余裕がない。名刺は先送りか。

町長日記:37日目 12月18日(月曜日)

今日は、議会対応の後、総合教育会議を開催頂く。5名の教育委員さんに、社会教育施設の所管を町長部局に移して頂くことなどを提案する。ハコと中身、ソフトとハードを分離し、教育委員会には教育の中身に専念してもらうということだ。ハコは町長部局で効率的に管理したいと考えている。

そして、最近で一番驚いたことがあった。職員に「メール送りたいから名刺ちょうだい」ともらったら、端がギザギザしている。「あれ?これひょっとしたら自分のプリンタで印刷して切り取ったやつじゃない?なぜ?」と訊くと、なんと真鶴町職員は自分の名刺を自費で用意しているのだという。他の職員のも見せてもらったが、自分で作っているからデザインもまちまちで統一感がない。何より仕事の道具代を自分で払わせているのは申し訳ない。来年度予算で何とかしたい。

町長日記:36日目 12月17日(日曜日)

真鶴では買えなそうなので、湯河原にカーシェアで買い物に行き、念願の布団や調理器具などを買って帰った。生活の質が大幅に改善した。今日は早めにゆっくり寝よう。

町長日記:35日目 12月16日(土曜日)

今日は、或る町民の方からお勧め頂いて、下北沢の「BONUS TRACK」をはじめとした一連の再開発を視察してきた。あまり下調べせずに行ったが、すぐに「あれ?これはひょっとして線路を地下化した上部利用なのではないか?」という感じを受けた。調べてみるとやはりそうだったらしい。

https://mag.tecture.jp/feature/20220529-62245/

行き帰りの電車の中では、これも町民の方から頂いた『吉祥寺スタイル』という本を読んだ。

https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163690506

下北沢も吉祥寺も、真鶴より格段に街を支える人口も多く商業と住居の集積がある。しかし、これらの心地のいい街から真鶴に読み替えができる手法はあるように感じた。

町長日記:34日目 12月15日(金曜日)

今日は「町長室開放日」だ。1組15分、町民ならアポを取らなくても、どなたでもお越し頂ける日を試しに設けてみた。雨だったが蓋を開けたら、8時30分の始業から「行列のできる町長室」となり真鶴町民の参加意識の高さを感じた。

そして、個人的な要望だけでなく、自分の利益ではない「もっと町としてこういう事業が必要だ」といった提案が多かったのも印象的だった。町のことを考える人が多い町は、きっといい町だ。

ただし、17時00分までひっきりなしにお客様がお越しになって、どっと疲れた。心地よい疲れだ。また、3カ月ごとに実施していきたい。

写真は最近ハマっているミックスナッツがけサラダ。

町長日記:33日目 12月14日(木曜日)

予算査定の一日。財務課は、全ての事業の査定に関わるから権限があるのだなと思う。一方で、ヒトモノカネコトのうちカネだけ査定があるが、本当はヒトモノコトの査定も必要なのではないか? カネの最適な資源配分と同様に、たとえばヒトの最適な資源配分も問われるべきだと思う。

町長日記:32日目 12月13日(水曜日)

今日は湯河原町と真鶴町とで共同ゴミ処理をしている一部事務組合の議会があった。その議会運営委員会の冒頭で、私の16日目の町長日記を読んで下さっていた村瀬公大・湯河原町議から「組合の簡易的なホームページを予備費でつくるよう指示したとのことだが、新年度予算を組んできちんとしたものを作成したほうがいいのではないか?」旨の提起を頂いた。他の議員からも賛同する声が多く、議運委員長としてもその線で意見集約された。全くありがたい話だ。せっかくなので両町民の知る権利にしっかり応える立派なホームページを作りたい。

真鶴町役場に戻って、パン屋秋日和で買ったパンをかじりながら初の予算査定に臨んだ。なかなか大きな額を削りだすのは難しいが、ムダに斬り込んで歳出を減らし物品売却などで歳入を増やすやりくりを自らの手でできるのは実にやりがいがある。町民からお預かりした税金だ。大事に使いたい。

町長日記:31日目 12月12日(火曜日)

今日も念のためお休みを頂き、自宅で業界誌のオンライン取材などに対応したあと、溜まった決裁等の処理のため夕方から登庁した。

山と積まれた決裁書類を次々片づける「作業」自体は「仕事」ではない。決裁印を押すという「作業」の背景には、判断という「仕事」がある。この町長―参事―課長―係長―担当職員をまたいだ意思決定過程の記録のために、どれだけみんなの時間が費やされているのかを思うと、申し訳ない気持ちになる。職員に生産性の高い仕事をさせられていないのは、トップの責任だ。早くDXしなければ。

ところで、週末に寝込みながら映画『殿、利息でござる!』を観た。

https://youtu.be/38OBRELdGbY?si=P2GMd-Q8A_x_8_Pa

エンタテイメントとしても大変楽しめたが、つい役場になぞらえて観てしまう。いくつかの見方があると思った。トップが無能だと、下が苦しむ。下からボトムアップで改善した美談がこの物語だ。しかも、公民連携である。殿様―代官―肝入という指揮命令系統の外にいる商人が発案し、商人の出資によって町の課題が解消した。ただし、その商人の提案を受けたのは、最終的には上層部の判断による。最後にはトップである殿様の行動変容も促したが、そもそも上層部が問題を放置せず困っている町民の声を聴いて政治をしていれば済んだ話でもあった。

まあ、そんなことを言い始めるとドラマにはならないが、真鶴町の現状もなかなかドラマティックだ。『町長、また新たな問題がありましてござる』かな。

町長日記:30日目 12月11日(月曜日)

朝一番で国保診療所に行き診察してもらう。検査の結果、インフルエンザだったらしい。今日明日あたりまでは安静にとのことなので仕事は休ませてもらった。アポも会議もあったのに多くの方にご迷惑をおかけしてしまった。 担当課長から国保診療所に、ホームページの休日夜間診療の記載をわかりやすくできないかお願いしてもらったら、すぐさま直して下さった。ありがたい。私のように間違えて行ってしまう人が減るだろう。 車とすれ違いながら帰って、ふと気になって真鶴町内の交通事故状況を調べる。http://www.local-manifesto.jp/manifestoaward/docs/2023081500014/

半島部分では3年間死亡・負傷事故ゼロだ。逆に圧倒的に真鶴駅前が多い。変則的な交差点のためだろう。横断歩道も離れているため、うっかりスピードを出して歩行者に突っ込みかける場面も何度か目にした。ここは早期に解消したほうがいいのではないかと、ウンウン頭をひねっていたら、いつの間にか体調もバッチリ戻っていた。

町長日記12月7日写真
町長日記12月11日写真

町長日記:27~29日目 12月8日(金曜日)、12月9日(土曜日)、12月10日(日曜日)

8日の朝方に咳が出はじめ、午後から鼻水も止まらなくなり、「いつもの鼻風邪かな」と思いつつ予定を取りやめてとっとと寝る。9日には背骨と腰が痛みだし、悪寒もするので「これはただの風邪じゃないな」と感じる。が、動くのもつらいので、病院にも行かずひたすら寝る。選挙で応援して下さった方から久しぶりに電話があって「元気か?」と言うので「実は……」と話すと、小一時間ほどして焼いたニンニクと搾りたての蜜柑ジュース等々たくさんの差し入れを持って届けて下さった。感謝しきりで、寝て起きては次々とありがたく頂く。 10日には動けるようになったので国保診療所に行ったが、ホームページの記載が紛らわしかったようで、今日の休日夜間診療は小田原まで行かないといけなかったらしい。今から電車で鴨宮に行ってタクシー拾って小田原市保健センターなんて、むしろ体調が悪化しそうな気がしたので、諦めて部屋に戻って寝る。ホームページは依頼して書き直してもらおう。

町長日記:26日目 12月7日(木曜日)

かつてプレイヤーとしてはそこそこできるほうだったかもしれないが、マネージャーとしては無能。町長に就任して1カ月、自分を振り返って思うことだ。 今日は午後から仕事を休んで、私淑している片山善博・元鳥取県知事と北川正恭・元三重県知事にお目にかかってきた。内容は控えるが、名知事として知られたお二方のお話を伺いながら、行政トップとしての自分の未熟さを改めて感じた。 就任20日目に、「そろそろギアを変える時かもしれない」「改めてドラッカーの『非営利組織の経営』を読み直そう」と書いた。そう、自分の仕事がマネジメントだと気付いてはいたはずだ。焦って自分がプレイヤーとして動いて職員を引きずり回してしまった反省はあったはずだ。しかし、ギアは変えられなかった。正確には、ギアを変えた先の歯車の回し方を腹でわかっていなかった。まだまだ議員時代の感覚から抜けきれていない。 今日、このタイミングで2人の師にお会いできたのも、何か意味があると思う。その意味では、やはり私は幸運に恵まれている。 写真は、朝に視察した真鶴半島の高浦海岸と、大正大学への道すがら見物した巣鴨のとげぬき地蔵の商店街。やはり、歩いて暮らせるまちは心地よく活気があるな、と感じた。

町長日記12月7日写真
町長日記12月7日写真

町長日記:25日目 12月6日(水曜日)

今日はビッグ対談が続いた。 朝には齊藤栄・熱海市長。広域連携のお礼を述べる表敬訪問のつもりだったが、お忙しい中1時間も割いて下さって、トップの仕事術や心構えまでお聞かせ頂いた。きっと、17年前に40代で大混戦の熱海市長選を制した自らの姿を、私に投影して下さったのかもしれない。 実際、私が当選したのは齊藤市長の実績のおかげと言ってもいい。「熱海がV字回復したのは、よそ者のやり手市長が就任してからだ。真鶴もよそ者に任せても面白いんじゃないか」という声はだいぶ聴いたし、声を受けて調べるうちに熱海の別荘税を知って選挙中の演説に採り入れたりもした。その別荘税についても「職員レベルで勉強に伺わせて頂けないか?」とお願いしたら、即快諾下さった。 帰りがけに、熱海中心部を車でぐるりと回って、その活気を感じながら帰った。 午後には守屋輝彦・小田原市長。この間、何度か会合でご一緒する機会はあったものの、お隣のまちとしてきちんと表敬訪問したかったことと広域連携課題をテーブルに乗せたいと思っていたところ、議会前の時期にもかかわらずお時間を頂いた。「冨田・湯河原町長が快癒なさって小田原市との消防広域化に同意頂けた暁には実現可能性調査をお願いしたい」「中学校給食の連携可能性調査をお願いしたい」と考えていることをお伝えし、今後の検討をお願いして帰った。今日も感じたが、守屋市長は市内の状況がひととおり頭に入っていて、数字がポンポン出てくる。緻密さと豪快さを兼ね備えたリーダーで、見習いたいと感じた。 帰りがけに、漁港の駅TOTOCO小田原に寄ってみた。遊んでいるようだが、これでも視察のつもりだ。平日の午後だというのに駐車場も結構埋まっていて、活気がある。堤防に遮られてイマイチかと思っていた眺望も、2階・3階があったので悪くなかった。一つひとつラベルを見て回ったが品揃えも小田原市内の商品ばかり。やるな。 「真鶴に道の駅が欲しい」という声も聴いてきたが、おそらく今から真鶴が参入してもTOTOCOには勝てないのではないか? 東京横浜から熱海旅行に来て帰りにちょっと休憩やお土産に寄るとしたら自分もTOTOCOを選ぶだろう。真鶴が投資するなら、きっとそこじゃない。 お土産にプリンを買って帰った。こんな、思わず写真をUPしたくなる「シェア・ジェニック」なお土産が真鶴にもあったらいいのにな。

町長日記12月6日写真
町長日記12月6日写真
町長日記12月6日写真

町長日記:24日目 12月5日(火曜日)

今日は民間事業者の方々と、再開発案件、サウンディング案件、ずっと狙ってきた高額帯&コト消費系ふるさと納税の打ち合わせができた。公平性は確保しつつ、民間活力は導入したい。やはり真鶴の潜在力は大きいと実感する。

一方で、「あまり再開発せずに美の基準を活かしたまちづくりを」という町内事業者との打ち合わせもあって、対照的で象徴的な一日だった。

現在の私の考えでは、どちらかに振りきるべきではないと思っている。町民の声をたくさん聴いてきたが、両方の主張とも一定数いる。そして、どちらかが悪ではない。どちらも正義だ。こういう案件は、ゾーニングの出番ではないか。民間活力を導入して再活性化する区域。真鶴らしい街並みを守っていく区域。そしていずれも、どのくらい再開発するのか、どのくらい保全するのか、が重要となる。難しい案件なので、「美の基準」の見直しは時間をかけて丁寧に議論していきたい。

町長日記:23日目 12月4日(月曜日)

「選挙の残務処理に追われる休日は早く終わってくれ」「役場に行って前向きな仕事をしたい」。今週末は、つくづくそう思った。自分は守りの仕事向きではなく、泳ぎ続けるマグロ型の人種なのだろう。 振り返って考えると、要するに得意なことだけやればいい立場になった。苦手な細かい調整は職員に振ることができる。今は、人生で初めてそんなポジションだ。横須賀市議時代も仕事は選べたけれど、個人商店なので仕事を振る先はなかった。 組織とは、みんなが得意なことや好きなことができるならば、みんなが幸せになるのかもしれない。リカードの比較優位的な話だ。一方、日本の役場の雇用制度は基本的にメンバーシップ型雇用だ。ここで発想を転換して、真鶴町だけジョブ型雇用=職階制を改めて採用するというのも面白いだろうか? いきなりやらないけれど。 ムダ話はその辺にして、今日は初の朝礼と管理職らとの月例会を迎えた。「みんなで頑張ってラクして給料上げていこうぜ!」という話をした。どれだけ伝わったかなあ? あとは民間企業との打ち合わせが2件、県や他自治体との折衝が2件、町民との意見交換が2件。21時頃まで、ずっと人と話す一日。データとの対話も楽しいが、人との対話も膨大な情報量の中からのテキスト・マイニングなのかもなと思った。

町長日記:22日目 12月3日(日曜日)

午前中は溜め込んでいた事務作業をこなして、午後には「美の基準」Weekのトークイベントに行く。全国の先駆けとなった真鶴町「まちづくり条例」の制定から30年。おかげで真鶴は乱開発から海と緑と景観を守った。一方、人口減少と空き家問題という新たな都市計画の問題に直面している。 私からは「現在の真鶴を作ってくれた条例のいい所を残しながら、30年後の真鶴をどんな町にするかみんなで議論しよう。私の任期4年の間に、まちづくり条例を改定したい」旨の挨拶をした。19時00分ごろまで熱心なトークセッションが続いた。土地の者と旅の者が一緒になって、まちのこれまでを振り返りながらこれからを模索する本当に素晴らしい場だった。運営に携わった方々には、心から敬意を表したい。 当時、専門家として条例策定に関わった池上修一氏や野口和雄氏もお越しになっていて、ご挨拶する機会を得た。「いいまちの町長になりましたね」と言われて、「はい。自分は幸せだと思っています」とお答えした。歴史的な転換点に立ち会えた町長として、先送りされてきた課題に自分の代で結論を出したい。

町長日記:21日目 12月2日(土曜日)

できるだけ地元でお買い物をしようと思っていて、職員に「この辺でベッドを買えるところは?」と聞いたら真鶴はもちろん湯河原でも多分買えないという。仕方がないのでランニングの支度をして、小田原駅から郊外のリサイクルショップまで走って行ってきた。真鶴でのランニングは坂が多くて鍛えられるが、小田原は平らで走りやすいな。 ちょうどいいベッドが見つかったので、近くのカーシェアを探して積んで真鶴まで運び、車を戻してまた走って小田原駅から電車で帰ってきた。エアーベッド&寝袋から、シングルベッド&寝袋の体制に昇格することとなった。今度は布団を買いに行かなきゃ。 ところで、私は車を持たないことにしている。なので、真鶴にも早くカーシェアを誘致したい。手始めに公用車を全廃してカーシェアにできないか画策している。公用車は土日には基本的に使わない。カーシェアであれば、土日や夜間は観光客にも使って頂ける。ついでに、小田原市役所の電気自動車カーシェアを視察してきた。 なお、真鶴駅周辺でカーシェアに駐車場を貸して頂ける方がいれば、真鶴町財務課まで情報をお寄せください! 自家用車を手放せば生活防衛にもなりますよ! 

町長日記:20日目 12月1日(金曜日)

就任して20日が経った。無我夢中でやってきたが、人生で最も濃い3週間だったと思う。

ここまでに、全ての町議と意見交換をし、足柄地域の全ての首長さんにご挨拶の機会を頂き、地元の牧島代議士と高橋県議にもご挨拶に伺い、町内の主だった団体にも伺って、ただの挨拶ではない割と踏み込んだ意見交換もできた。

昨日と今日は12月議会で、所信表明と初めての答弁も経験した。しかも、指定管理者の選定議案の否決という事態まで起きた。現在の指定管理者には頭を下げてお願いして、来年度は契約延長をお引き受け頂ける見込みであり、魚座の運営に穴が開く事態は防げそうだ。

公民連携で今年度中に仕込んでおいたほうが良さそうな民間企業さんにも直接ご連絡してアポが頂けた。トップセールスも現時点では順調。本日などは、真鶴町内での助産院の開設を模索頂いている方々のご訪問を受けた。定住促進の観点からは大いに歓迎すべき案件であるため、できる限りのバックアップをお約束した。町民連携の案件も既に複数動き出している。ありがたい。ありがたい。

職員との面談だけは、まだ誰ともできておらず後回しにしてしまった。お世話になった方へのお礼もまだ済んではいない。不義理は申し訳ありません。

しかし、そろそろギアを変える時かもしれない。「ファシリテーター型のリーダーを目指す」とか言いながら、ここまでは、かなりトップダウンでガツガツ指示してきた。「最初の100日が勝負」とのアドバイスに沿って、スピード重視でやってきた。だが、この調子で走り続けたら、組織も職員も自分も壊れる。そろそろ潮目だ。

幸い、田中議長が町長の仕事の大きな部分を引き受けて下さることとなった。町民代表としての名誉職「メイヤー」の仕事をドンドン受けて頂いており、心強い限りだ。ご負担も増えるので「来年度予算では議長報酬を上げるよう組みましょうか?」と申し出たのだが、「町民生活を考えるとまだその時期ではない」とおっしゃる。さすが自治意識の高い真鶴町民から選ばれた議長だ。頭が下がる。

今後は、副町長も3月議会を目標に選任できたらと思う。幹部以下の職員に対しても、自主的な提案を引き出し対話型で進めることが大事だろう。任期4年間を「地固めの2年」に続く「攻めの2年」と位置付けてはいるが、この20日間は「猛攻の20日」だった。

このあたりで、改めてドラッカーの『非営利組織の経営』を読み直そうと思う。

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更新日:2024年02月08日